Shiawasetodoke’s blog

人間万事塞翁が馬

大川小学校を巡る第二の悲劇

 東日本大震災で多くの児童が犠牲となった大川小学校のドキュメンタリー映画「生きる」を観てきました。  

 その感想です。

【第一の悲劇】

 2011年3月11日午後2時46分、宮城県石巻市震度6強の揺れを観測し、その3分後には大津波警報が発令された。

 この時大川小学校では、児童ら89人が50分近く校庭に留まった後、ようやく近くの橋のたもとに移動しようとしたその直後、津波に襲われて84人が亡くなるという痛ましい悲劇が発生した。

【第二の悲劇】

 映画では、事故後に開かれた遺族説明会で、児童の親が撮影したビデオ映像を中心に当時のリアルなやり取りが記録されているが、数回に亘って開かれた説明会で、何故避難が遅れたのか、何故裏山に逃げなかったのかと問いただす遺族と、最後まで組織の判断ミスを隠そうとする学校・教育委員会との対決の場となってしまっていく様子が描かれている。

 ここで思ったのは、当時の混乱した現場で必死に対応したであろう教職員も、その時点ではベストの判断だと信じて行動したはずであり、誰がその場にいたとしても100%問題なく対処できることは稀であり、あとから検証されれば判断ミスや失敗はいくらでも出てくるものだということである。

 したがって学校側は、当時の状況をありのまま説明して、遺族に寄り添いながら、心から犠牲者を悼む気持ちで進めていったならば、遺族からの非難を浴びながらも、最後は関係者が全員で哀悼の誠を捧げることができたはずである。

 なのに学校側は、「隠す」「嘘をつく」「取り繕う」という、このような場面において最もやってはいけない対応に走ってしまった。

 そこで遺族は、ありのままの真実を知りたいという思いを実現させるための手段として、ついに国家賠償請求裁判を起こすという事態にまで発展することになった。

 そのため大川小学校の事故を巡っては、その後10年にも及ぶ長く苦しい裁判を闘うという第二の悲劇を生む結果となってしまったのである。

 学校側の誰かが、ありのままの真実を語るべきだと主張したはずなのに、その声が生かされなかったことが残念でならない。